浜松市議会 2020-03-09 03月09日-03号
3点目、今年度、浜松城の発掘調査を進めており、出土物を展示する施設が必要になってくると考えるが、浜松城公園長期整備構想を見直す予定があるか、現在の所管であります伊藤花みどり担当部長にお伺いします。 4点目、文化財の活用について2つ。 アとして、浜松城を文化財としてどのように生かすのか。 イとして、地域遺産認定制度は開始から4年目を迎えるが、特徴的なものがあるか。
3点目、今年度、浜松城の発掘調査を進めており、出土物を展示する施設が必要になってくると考えるが、浜松城公園長期整備構想を見直す予定があるか、現在の所管であります伊藤花みどり担当部長にお伺いします。 4点目、文化財の活用について2つ。 アとして、浜松城を文化財としてどのように生かすのか。 イとして、地域遺産認定制度は開始から4年目を迎えるが、特徴的なものがあるか。
現在,築城時期などを示す出土物は検出されておりませんが,特徴的な構造から,総社市の鬼ノ城に匹敵するか,それ以上の7世紀代の古代山城と考えられております。このことは,古代吉備の国の歴史,文化を考える上でも非常に重要であると思われております。
出土物からの時代推定についてでありますが、III期石垣を築いた際に行った整地層や土木工事に用いられた土砂からは、それ以前に本丸の建物などで使用されていたかわらや陶磁器などが大量に出土いたしております。17世紀前半から中ごろの当時としては大変貴重な、全国的に見ても第一級のすぐれた陶磁器が出土していることから、III期石垣は17世紀中ごろ以降に構築されたと考えられております。
現在、博物館の収蔵資料は、自然史資料と人文学資料を合わせて約12万点ほどあり、その中には才園古墳出土物やニホンツキノワグマの頭骨など貴重な資料も含まれております。そのうち約 3,500点を常設展示するとともに、特別展や歴史講座などに活用いたしております。 また、平成10年度より市内の小中学校や市民センター等に出向いて資料の公開を行う移動博物館にも活用いたしております。
現在、博物館の収蔵資料は、自然史資料と人文学資料を合わせて約12万点ほどあり、その中には才園古墳出土物やニホンツキノワグマの頭骨など貴重な資料も含まれております。そのうち約 3,500点を常設展示するとともに、特別展や歴史講座などに活用いたしております。 また、平成10年度より市内の小中学校や市民センター等に出向いて資料の公開を行う移動博物館にも活用いたしております。
主な出土物は,かわらやくぎとおわんや皿などの日常の陶器類でありまして,かわらのうちには築城期の金箔がわらが数点含まれております。大半が第2次拡張期以降のかわらであります。日常の陶器類は江戸時代の岡山藩の政務の場でありました表書院関連のもので,そこでの生活の一端がその資料によってわかると,こういうことであります。
現在,市民ミュージアムで保管をしております出土物の量につきましては,整理箱にいたしまして約1,800箱ございます。これらの出土遺物につきましては,主に市からの派遣職員1名と財団職員1名,それから財団での臨時職員3名の学芸員5名によって,保管や活用のための整理が進められております。
出土物の取り扱いにつきましては,発掘調査者,例えばそれは岡山市教育委員会ということでありますが,発掘調査者が遺失物法に基づきまして埋蔵物発見届を所轄警察署長へ,また文化財保護法との関連で埋蔵文化財保管証を岡山県教育委員会に提出いたしまして,文化庁から指示があるまで保管と管理を行っております。 次は,今日までに出土した埋蔵文化財の保管場所の確保と公開展示についてのお尋ねでございます。
次は,発掘調査による出土物の保存と保管についてのお尋ねでございます。 出土物は,発掘現場事務所や教育施設へ仮設をしました,というのは空き教室という意味でございますが,仮設をしました収蔵庫で,水洗い後一部は復元をいたしまして整理保管をしております。また,報告書の作成の済んだものについては,オリエント美術館の収蔵庫及び岡山臨港鉄道株式会社の倉庫へ保管をいたしております。
これらの発掘調査の主な出土物の概略を申し上げますと,縄文時代晩期の土器,弥生時代全般の土器や石器,弥生時代と古墳時代の木器,古墳時代の副葬品,奈良時代を中心としたかわら類,さらには中世,近世の日用雑器等々でございます。
◎教育長(奥山桂君) 百間川の中から出てきた出土品のことでございますが,これはちょっと勉強不足でございまして,十分なお答えができかねるわけで申しわけなく思うわけでございますが,これは教育委員会の方の関係のものでやるとすれば,たくさん出土物はあるわけでございまして,そういうものは今御承知の総合歴史博物館の建設計画の中でこういうものの展示というようなこともまた考えていかなければならないと思うわけでございますが
先般来,吉備路と並んでこの旭東地区も大変なる史跡,名跡,旧跡があるということをお話し申し上げましたが,そのとき,57年の2月におきましても,富山城跡の出土物,南方遺跡の出土物,賞田廃寺の出土物,天瀬遺跡の出土物等10件の出土物におきまして,数百箱に上る膨大な弥生式あるいは古代のその文化財があると,今もって日の目を見ておりません。